サワコの朝

サワコの朝 2017年8月26日
今朝のゲストは、この人は誰だ?と謎に思った方も多いのではないでしょうか?
最近は役者さんとしても活躍されています、ダンサーの田中泯さんです。

赤いおしゃれなアロハでご登場。
夏はアロハか裸ですって

田中泯
 生年月日:1945年3月10日 


本業は俳優打はなくダンサー。
今年72才。今も現役です。
日本はもとより世界各地で活躍。
こまで50ヶ国以上の国から招待され高い評価を受けてきました。

その踊りは一般的なダンスの概念から離れた全く独自の物。
衣装も音楽も劇場も必要とせず、感じるがままに体を動かすのです。

泯さん
ー田んぼの中で踊ったりすることもあります。すると、たまたまそこにいる人が、黙って見てて「ご苦労でしたね」って言ってくれたりしたら「もう、やった~」って。

今日は人の歩かない道、自分の道を歩き新たな道を模索してきた田中泯さんの世界にサワコた飛び込みます。

57才で俳優デビュー

57才の時に初めて役者業を、″たそがれ清兵衛″ですか、演じるって仕事を初めて引き受けたって?

泯さん
ー踊りと演劇との境目的なもの、どこの辺から踊りになり、どこの辺から演劇になるんだろうって言うのはずっと興味を持ってた。ただ僕は言葉が苦手なもんですから、演劇って言っても台詞なんかしゃべれるわけないじゃないかって。それもあったんですが、山田洋二さんのお話があって。

あれは真田広之さんと?

泯さん
ー真田さんさえ知らなかったんです。ビデオで一生懸命勉強して、それでお会いした時に、あっ真田さんだって。最初は全然知らなかったです。

で、実際現場に行ってみて?

泯さん
ー居ても立っても居られないって言うか。自分の撮影はないんだけど、早くから京都に行って真田さんの撮影が終わるのを待って(殺陣)の練習をしたりとか。

その経験はいかがだったんですか?

泯さん
ーものすごく、踊りを考える上では、あるいは自分の踊りを続けていく意味では、大変なヒントがいっぱいあったかと思います。

朝ドラ「まれ」で塩づくり職人を

たそがれ清兵衛のあとに、次々と、あーあの人素敵、面白いっていくつかオファーが来るようになって、NHKの″まれ(2015年)″は何年か前になりますけれども、塩まきおじちゃん・・・。

泯さん
ーでも、あれはね、塩をまくモデルがいるんです。その方のお父さんていうのが、戦争中でみんな赤紙でどんどんどんどん戦争に行くんです、仲間のみんながあいつだけは戦争に行かしちゃダメだと。あいつだけが使える力を持ってるって言って陳情するんです。それで行かなかったんです、生き残ったんです。それでもう戦争が終わってから一心不乱なんです。
(まれの出演は)塩まきを習う事ができるんだったらやります!っていう引き受け方をしたんです。
それでその人の息子さんに僕は習ったんです。
塩まきをやってみたかった。
やっぱりそういう人たちの凄さって言うのを本当に身に染みて感じた。

役を引き受ける基準

その後もキムタクのお父さん役をやるわ、次々とオファーがあって

泯さん
ーでも僕は、何でもできるわけじゃないと言う事はまずわかってもらって。
単純に言えば別の偶然でもし僕が生きていれば、こういう人になってたかも知れないなっていう人を全部やってるんです。
これは俺とは関係ないよって言う役はできないと思います。
申し訳ないんだけど、本を読ませていただいて、「わかる!こう言ってるのはわかる」と言う人しか。本当に不器用ですから。


記 憶 の 中 で ら め く

警察官だった父を思い出す曲


泯さん
たくさんのこってるんですけれどもね、僕は1番何が?何て言われるのは苦手で。1番好きな場所はどこですか?なんて言われても、それは僕は生きてるんだから1番なんて決めたらソンでしょ。

どうもすみません。

泯さん
ーいえいえ
東海林太郎っていう人の「名月赤城山」


直立不動の東海林太郎


泯さん
ー父が良く歌ってたんです。

お父様は警察官だったとうかがってますが。


泯さん
ー小学校出の警察官。酔っぱらうと歌ってましたね。歌の凄く上手な人で、東海林太郎よりも声は大きいし電気屋さんの小さいテレビのモニターで東海林太郎が歌ってるところを見たけど、やっぱり親父の方が上手い!と思った。




やっぱりお父様の方が上手かったですか?

泯さん
ー上手かったですね。

今聞いても?

泯さん
ー声が。
聴いてる人にもたれかかるように歌ってましたね、酔っぱらってね






無口な父親との強烈な思い出


お父様はお酒を飲んで朗々と歌われるのんですが、どんなお父様でしたか?

泯さん
ーほとんどなんにも語らない人でしたから。いつも家にいる人ではなかったし、顔を合わせる事がなかった。例えば自殺があったとか、台風の後に死体があがったとか、そういうような時は父親が行くんですよね。それでその現場に連れていかれて。昔は今みたいにね、警察がブルーシートをしてみんな隠しちゃうみたいなことはしないで、大人も子どもも見てましたから。死んだ人を。

生と死は近くにあると感じた


わざわざ子どもを連れて行くっていうお父様のお考えはなんだったんですか?

泯さん
ーいっさいしゃべらなかったですね。
実際に台風で堤防が切れそうだっていうと地域の地域の半鐘がなって、みんなが家から出てきて、堤防に集まって何とかしようって、行動で何とかしようっていう事をやってた時代ですから。
担当者じゃなくて住民みんなが共に集まって。
僕は何もできなかったけどなんとか役に立ちたくて自転車に乗って電気をつけたりしました。


人間が生きること、必死で生きること。それからそこに抗えず死んじゃうこと、両方とも目の当たりにしたって事ですよね。

生きている実感を抱いて育った

泯さん
ーそうですね。ありがたかったです。自分も死んじゃったらこうなるんだってことは早くからわかってたし。そうすると俺はこの体の中に私はいるんだな。っていう事を間違えなく確かめられるわけですよね。
(亡くなった人を見て)今、この人の中にはこの人はいない。

魂はないと?

泯さん
ーこの人はどこかに行っちゃったんだ・・・。

なんにも、お父様は説明しないんですか?

泯さん
ーとうとう教えてもらっていない。

強いお父さんだな・・・。

泯さん
ーそうですね。

今、踊りの方で言えば、場踊りというのを始められたとか、場踊りと言うのはまず場所を決めるという事ですか?

泯さん
ー踊る場所をね。

これは日本のみならず外国でも?

泯さん
ーやってます。

田中泯さんが編み出した場踊りとは

その場所で感じた空気や歴史を、思うがままに表現する踊り。インドネシアの島々では、通りすがりの男性と即興で踊ったり、水牛を相手に踊ったことも。舞台を選ばすその場で感じた自然の息吹や空気の流れを体内に吸収し、一気に放射していくのがこの場踊りなのです。

踊る時はとてつもなく熱中する


即興なんですね?

泯さん
ーその場に行く間に最初はどうしようって、その場に行きます。
まあ絶えず動きまくってますから、その中で私の事なんか関係ないんですよ。もう夢中でその中で生きていくというか。踊りを踊る時の自分と言うのは普段の自分とは全く違います。
めっちゃしてるなんてもんじゃないんです。もっと熱中してる。敢えて言わしてもらえば、それが僕にとってはもっと生きると言う、快感に近いです。あー踊りやってるって感じです。


踊りを好きになたきっかけ


田中さんの踊りの現点は?

泯さん
ー中学校を卒業するまでは、学校でも前のほうで。

小っちゃかったんですか?

泯さん
ーホントに小っちゃかったんです。まあ、何の自信もない体で。象徴的なのは僕は友達みんなを覚えてるんですが、友達は僕の事をまったく覚えてない。
誰だっけ?って言われた。

居たっけ?って?そんなに存在感の薄い、端っこに居たような子だったんですか?


盆踊りが救いの場所だった


泯さん
ーそうですね

いじめられたりもしたんですか?

泯さん
ーいじめられました。かなり。友だちとか、仲間と遊ばない子だった。1人で野山に潜り込んでた。その過程で盆踊り、大人の輪の中にむしろ逃げ込むような感じで入ってたんです。

そのほうが心地よかったんですか?

泯さん
ーですね。

男の子ってちょっと恥ずかしがってなかなか踊らない印象が私の子どもの頃はありましたが?

泯さん
ーそうですね。男の子は踊ってなかったですもんね。

その勇気はあったんですね?

泯さん
ーそれよりも逃げると言うか大人の間に隠れるようにして踊っていたって言うのが正解かなあ


踊ってる時は楽しかったんですか?


泯さん
ー夢中でしたね、とっても良かったです。

最初盆踊りに夢中になって?

泯さん
ー大学の1、2年生の時に芸術、踊りって芸術があるってことで。

大学生の時ダンスやバレエを習う


泯さん
ークラシックバレエと町の舞踊団に所属してそこで、いわゆる内弟子に。その家の掃除とかいろんな事をしながら踊りを習ってたんです。

それはもうアンドゥトロワの世界だから決まった形があって?そんな中で旧来の日本の踊りとか、欧米のものじゃないものに、どんどん興味を惹かれていく?


泯さん
ー踊りって一体どこからやって来たのかっていうのが興味の対象に、どんどんなっていくんです。
たとえばね、文字文化を持たない人の踊りはほんとにすごいですよね。で、文字を持ってからのどっかで文字の翻訳のような踊りになっていくわけです。これ、決して失礼なつもりで言ってるわけではない-けど日本舞踊にしても歌舞伎舞踊にしても言葉があるから振りがあるというような。

言葉が先にあって、″私は心が悲しいの″みたいな振りができるんですね?


踊りを学んで感じた疑問

泯さん
ー言葉ありきなんです。
それで先生たちからは、あなたの感情、″心″以前の事を表現すればいいのよ、みたいなことを教わるわけですよ。
でもね、はてー??そんなの俺にあるのかな?
どこに?って思っちゃうわけですよね。
割と簡単に、あなたの奥深くから表現してくださいって言うんですけれど、奥深くってどこっー?ってホントに思いました。
それって先生言葉じゃないですか?
でもねホントに大事なコミュニケーションの1つとして踊りは絶対にあったと思うんですね
今でもそうだと思うんだけど、美味しいもの食べた、それでこれ美味しいって言う時に、これ美味しいて言う代わりに体で表す時あるじゃない、あれ、デタラメですよね。それぞれがデタラメ体で。もうほとんど踊りって言っていいような。意味のない事じゃないですか、それだけ取り出したら。


人は感情で体を動かす


悔しい時はんーって。(両手で拳をつくって)

泯さん
ーでも幸せにも、その共同の体験をみんながしているから、全く抽象的な事をやっても、きっと美味しいんだと思えるわけですよ。踊りってそういった意味では、共同の場に起きていることを、伝えていく大事な役割があったと思うんです。

田中さんはある時、裸ん坊で踊ってらっしゃった時期が?

泯さん
ー踊りをやっていこうと思った時に、言葉を発さずに、むしろ言葉をはねのける裸体を選んだ。
この体の中に多分、踊りの動きの全部が備わってあるって思ったんです。例えばなんにもしなくても、暗いね、今日は。なんて言われちゃったりするわけですよね?何も沈んだようにしてなくても。あれ?ちょっと変じゃない?それは後姿でも見破られたりする。だから、動く、踊りの動きを追及するよりも前に私の体の中で、ホントに感じることをもっとキャッチしたい。服を着る意味、音楽をかけて踊る意味、あるいは客席を準備してお客さんを呼ぶ意味。なんにもわかんなくなっちゃって。必要としないんじゃないかって。まずそっから始めるべきだろうと思って始めた。

素の自分と闘っている時に、土方師匠に?

泯さん
ー裸で踊り始めた頃に既に土方って人の存在は知っていました。
吸い寄せられて、この人に踊りを習うという事よりは、この人からは遠くに行って、自分を磨くしか方法はないなと思いました。全部飲み込まれちゃうというように思いました。

そえは喜びですか?かなしみですか?


感情はいくつも混ざり合うもの

泯さん
ーどっちとも言えないですね。僕ね、あんまり喜びとか悲しみとか怒りとか言葉のレベルをピシっと決めるの好きじゃないんですよ、混ざってる方が好きなんです。
それはそうだなー怒りだけじゃなく、快感かなーとか。
嬉しい事と悲しい事の間にずーっとあるじゃないですか。嬉しい事があって悲しい事があってそれは、ぜんぜん繋がってないわけでは決してないと思うんです。ずーっと繋がってるってのが好きなんです。


土方 巽(ひじかた たつみ)1928-1986

     土方巽
身体表現の新たな概念を提示し「舞踏」という表現形式を確立した。








踊りたいから踊るのです

今ダンスの公演は?

泯さん
ーそれはいろんな形で踊ってます。いわゆるダンスビジネスにのってやるのはほんの一部です。

今度のギャラはいくらだ?なんて?

泯さん
ーそんなことは関係なく、これで踊りたいんだから踊る。例えば日本のね、田んぼの中で踊ったりすることもあります。するとたまたまそこにいる人が、見て下さってもいいし「うるさいねぇ」って声かけて下さっても結構。たいがい、そこに住んでる人は、気になるんで不思議に見て下さるんです。終わって気がつくとその周辺で働いてる人たちがいっぱい集まって黙っーて見てて「ご苦労でしたね」って言ってくれたりしたら「もう、やった~」って。何よりうれしいです。名前なんか聞かれるよりはるかに嬉しいです。


わざわざ東京からいらした有名な世界的に評価をされているダンサーですって言うのはむしろいらない?

泯さん
ー僕の踊りの最高のほめ言葉は「ちょっと元気になった」とか言われたら嬉しいです。ほんっとに嬉しいです。

でも生活はありますでしょ?

泯さん
ー死ぬわけじゃないから心配ないですよ。正直言って金より俺の方が偉いです。
 

失礼しました。

泯さん
ーはい




ずっと憧れている井上陽水の曲


泯さん
ー決められたリズム。裸体の頃から陽水さんを聞いてきました。

陽水さんの歌で踊った事は?

泯さん
ーないです。一度陽水さんの歌で踊りたいってプロポーズしたんです。断られちゃった。今はやりたくないって。

陽水さん、ご覧になってたらどうでしょうか?コラボレーション


泯さん
ー1曲でも2曲でも。




踊りましょう!陽水さんと!

泯さん
ーハイ!さっきね、怒りと喜びとかって言ったけど、それの間にずーっとあるんだっていう、彼の歌はまさにそういう事なんですよね。
ひと言で表現できるようなことがあるかっていうようなことを言ってるような気がしてしょうがない。
1つの何かが欲しくて僕は生きてるんじゃないんです。
あらゆる感情を知りたい。
今、僕72才でしょ。でも年上の人たちにね、年取るとね、人生とはね、って言われるんです。
頭に来ます。
俺知らないんだから、まだやってないんだから!
明日何が起きるかドキドキしてるんだからいいじゃないか。

指し示しすぎですね。

泯さん
ーそうです。「この道を行く」なんてどっかの総理大臣のポスターに書いてあってけど、冗談じゃないよ。俺、道なんかいらないよ。


無口な印象で、ご本人も言葉が上手くないみたいことをおっしゃってましたが、なんのなんのお話好きなんだなーと思いました。


         




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