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サワコの朝

サワコの朝 2017年9月2日
今朝のゲストは、美容家のikkoさん。

ikko

生年月日:1962年1月20日

19才から横浜の美容院に勤務。その後27才で雑誌「美しいキモノ」の表紙を担当。
そこで着物のヘアメイク技術が高く評価され、名だたる女優から支持されるようになりました。
更に真骨頂はメイクテクニック。
それを広めたのが、42才の時に出演したTBS「ジャスト」の~IKKOの幸せメイク(2004年)~
これをきっかけに様々なテレビで活躍。

どんだけ~
この言葉は流行語になりました。

タレントとしても美容家としても常に全力のikkoさん。
そのストイックな姿勢は美容師の修業時代に学んだと言います。
今日はikkoさんが苦労があるからこそ花開く、美しく生きる秘訣を語ります。


ちょっとふくよかになられました?


ikkoさん
ーちょっと大きくなっちゃんですよ。
40代は今よりダイエットして、20㎏以上痩せてた。
スゴイ痩せてた時期があったんです。
一時期はディナーショーとか、コンサートツアーとか、すごい多かったんです。
それが50才をきっかけに、お仕事がコスメとかの商品プロデュースの方にシフトしていっちゃったんですよね。
そうすると運動量が少なくなってるのに食べる。
でも、まぁいいんじゃない、これはやっぱり50代の私の新たなる幸せだからって思うようにしたんですよ。そしたら調子に乗っちゃってみるみる大きくなって、歯止めもきかなくなっちゃって、こんなに太っちゃった
でも、最近は少しセーブしてるんです、これでも。


記 憶 の 中 で ら め く

横浜の美容師時代に聞いた曲


荒井由実(松任谷由実)さんの「海を見ていた午後」
福岡から美容師を目指して19才の時に上京してね、横浜の元町で住み込みから始めるんです。
その時に、(歌詞に出てくる)ドルフィンというレストランに行ってみたいと思ったの。

この歌はどう思ったの?

ー何なんだろう?この透明感は。
自分の中ではグツグツ煮えたぎるような鬱積したものがあるのに、この曲を聞くとスーッと優しい気持ちになれた。素直になれた。
 



女性の中で育って・・・。

ー母が美容室をしてるんです。
今もやってるんですけど。

お姉さまお2人と妹さん1人?

ー4人兄弟なんで、男1人なので長男です。
父はまったく男っぽい人だったんです。
それでいつも私を野球や、魚釣りに連れていったり。
だけどね、知恵熱が出そうなくらいイヤなんです。
本能的にイヤで、家でままごとしていたい。

ままごとは楽しいんですか?

ーはい、楽しいんです。


わたしは大嫌いだったんです。(サワコ)

自分は男だと認めたくなかった



ー台所が大好きで小学校3年くらいからお料理してたんです。
すごく大人しい男の子だったです。
小学校の高学年になってくると足とかに毛が生えてきて、母とか姉に見られるのが嫌で、剃ってました。

なんで?

ーイヤなんです。周りから男っていう目で見られるのがすごくイヤで、貝のように自分を閉ざしてしまった。

自分の事を女だと信じてたんですか?

ー信じてました、小学校1年までは。
だから旅客機乗務員のドラマ「アテンションプリーズ」を姉たちと見てて、あの制服を着て飛行機に乗ろうって言ってたら、姉が「あなたはダメよ、男の子だから子の制服は着れないの」って言われて、それが最初の挫折だった。
ショックだった。
姉はスチュワーデスになったんですけど。

その頃はもう自分が男の子だと?

ーいえ、父から言われたんです、病院に行ってこい、病院に行ったら治ると。
治るわけないじゃないですか。
そして言葉のイジメ、おかまとかいう言葉がグイグイ胸ををえぐるようにイヤで。


辛い日々の中、高校を卒業して何になろうと?


ースチュワーデス(キャビンアテンダント)になれないとわかった時から、そしたら女の人をきれいにする職業に就きたいと思った。
これだったら、私できるかもって。
当時、男の美容師さんってちょっとナヨッとしてる方が多かったの。
私ここだったら生きていけるかもって思ったの。
それで福岡の美容学校に行きました。
そして美容学校の理事長に、インターンは絶対東京に出たいって言ったの。
そして元町の「さわい」というお店で8年間修業しました。
その8年間が私の人生を変えてくれた気がします。


人生を変えた美容師時代の8年間

ーもう毎日毎日が、何が起きたんだろうってわかんないくらい、今まで自分が生きてきた人生を全否定されてるくらい全く世界観が違っちゃったんです。
タオルの畳み方もそうだし、掃除のやり方もお米の研ぎ方も、お客さんの接し方も。

ご飯の量と時間の配分を注意された

お米の研ぎ方も?

ー私たちは住み込みでしたので、みんなでするんです。
ご飯を食べるスピードも言われました。
何住人もいるメンバーの中で、今日は炊飯器の中にこれだけしかご飯が入ってないのに、オマエは何でお茶碗にご飯をてんこ盛りにするの?と言われるので、みんなと同じようにお茶碗に1/3とか半分ぐらいのご飯にして、そうしてとみんなと同じペースで食べてるとあっという間になくなっちゃうでしょ。
それで食べ終わった後ジーッとしてると「気を遣わせるな」と言われる。
要するに時間の配分ができてないという事。
誰に合わせてどうするかと。
一番下だから一期上の先輩が食べ終わる前には動きなさいと。
早く動き過ぎてもダメ。


ご飯の分量にも気を使い、食べるスピードにも気を遣い



厳しい指導で心配りを学んだ

ー6:30から朝練って言うのがあるので、6時くらいには寮を出て美容室に向かうんです。
リビングダイニングの横に先生たちのお部屋があって、まだ寝てるから申し訳ないなって思って、そのまま出かけると、「私たちは5時には起きてるからドアをノックして挨拶してから行きなさい」と言われて、「申し訳ありませんでした」と。
そして次の日は挨拶に行くと「寝てるのになんで起こすの!」っていう訳ですよ。
どうすりゃいいんだろうって。
今考えれば、私たちがお店に向かったって言うのがわかればいいんだから、一筆書いて出て行くぐらいの臨機応変さがないとダメという事です、状況に合わせて。


その時の厳しい教育が今のikkoさんの心遣いの原点なんですね。



先生の奥様は教育係で、すごく厳しくて怖かったんですけど、今でもずーっと付き合いがある。最近ようやく、あなたが頑張ってるのは私たちの励みになるわって言って下さるようになったんです。
36年経って。


なんで着物をやろうと思ったの?


ー女優さんをやりたかったんです。
当時の雑誌は今のカタログみたいな感じじゃなくて大河のワンシーンを見てるようだったんです、ページが全て。
ある時の撮影でヘアメイクが仕上がった後で逆向きに写そうってなって、2分で髪型をやり直しました。

1つ1つの仕事をストイックに、厳しくやって?


ーそうですね、もう2度と私には来ないと、そんな気持ちでやりました。
雑誌の場合だったら傾向を調べて、編集部の気に入るようにしました。
私の作るヘアは独特の″うねり″があるのと、いろいろ工夫してつくった部分かつらがあるんです。
それでこういう独特の流れのあるヘアをつくっていったんです。


ikko ヘア

見事な流線ができてて。
ikko流というか。
ikkoさんしかできない髪型
っていうか。


ー人と同じ感覚だとダメかなーっと思って。


41才テレビ初出演

テレビの話はどこから来たの?

ーテレビはですね、41才の時にTBSの「ジャスト」と言う番組で密着をしていただたのがきっかけです。それで半年後に、ikkoの幸せメイクってコーナーを不定期で頂きまして、それからだんだんと。

メイクの仕方を指導する?

ータレントさんたちをきれいにするっていうものだったんです。
お洋服も全て私がコーディネートしました。
トータルでやりたくなって。
そうしないときれいにならないんじゃないかなーって思ったんですね。


裏方から出演者になって

テレビの仕事を始めてみてどうだったですか?メイクをやるだけじゃなくて、だんだんタレントさんになっていったというか?

ーそういう感覚はなかったんですけど、メイクの時はすごくストイックになる私がいて、だけどバラエティの時は、皆さんが優しくって。
笑ってる自分に気がついたんです。


本業では笑顔の余裕がなかった

それまではあんまり笑わなかったの?

ーいつも、キリキリ、キリキリしてね、細かい事ばっかり気になってしまって。
メイクボックスの中がキレイになってないとか、すぐにティッシュが出ないとかでキッ!となっちゃって、後からミーティングをするんです。
そして毎日準備とか、かつらの製作だったりとか。

「どんだけ~!」がうまれたのは・・・

笑わないikkoさんだったんだ。

ー笑えなかたんですよね、笑うという事をずいぶん忘れてました。

「どんだけ~!」はいつでてきたの?

ー「どんだけ~!」はね、もう2丁目で流行ってたんですよ、昔から流行ってて。
ダウンタウンさんの番組でね、ふられたんです。
そしたら緊張しちゃって、「どんだけ~!」って人差し指が震えちゃたんです。
ふつう「どんだけ~!」は言葉にするだけで手はつかないんです。
それが人差し指が出て、その指が緊張で震えて。
そしたら私の「どんだけ~!」が面白いって言って、カンカンカンカーンって鳴らしていただいて。
それで「どんだけ~!」が流行り出したんです。
その後に「めげない、めげない」とか「まぼろし~」「背負い投げ~」とかっていうのがあったんです。

これからはどうしていこうと?

ー50代以降の方が、もっともっとどうやったらその人なりに思ってるキレイになれるかっていう事を勉強して。

若返るっていう事ばっかり大事にするでしょ?

ーあっ、それは必要ないと思うんです。
変に若返りをすると、なんかちょっと違う気がするんですよ。
50代は50代の美しさがあるし、60代には60代の美しさがあるしそこを大事にしながら、「あっなんかステキね」って言われる事。メイクが美しいって事ではなくて、輝いてる事が、年齢と共に重要で、喪失感には負けないで生きていこうと思ってます。

お姉さまだけじゃなくて、ご家族はikkoさんのご活躍を認めて下さったんですか?

ー今はもう認めてくれてますけどね。

父との別れ

お父様はなくなられたんですか?

ー10年前に亡くなりました。

お父様最後は理解してくださったんですか?

父はずっと見守ってくれていた

ー最後は喜んでたと思うんですよね。私がスカートをはいたり、ドレスを着たりしてると、ずっと下向いてるんですよね。
テレビ見ててもね。
そんな父が、私が気がついた時には肝臓がんで余命40日って言われてたんです。
傷みはなく、延命治療もせず、最後まで苦しまないでいればいいかなと思って。
父の死化粧をしたんです、それはよかったなと思います。

お父さんのことお好きだったんですね。

ー優しかったですね。もうちょっと親孝行すればよかったと思っています。
「てんぐになるなよ」とか言われて「もうわかってるわよ、これ以上言わないで」なんて。
父は父で心配してるし、父としての威厳もあったと思います。

お父様は、「どんだけ~!」ご存知?

ーはい、ギリギリ間に合いました。だからよかったなーと思って。
看護師さんたちに「ikkoってうちの娘とは言わないんだけど、息子はイヤなんだけど、息子って言ってたみたいですよ。娘って言って欲しかったですけどね」










都はるみさんの″雨宿り″を聞いた時にですね、胸がキュッとなるような気持ちの歌だったんです。
詩が素晴らしいんですよ。
ここ5年くらいは、昔の歌をYouTubeなどで調べて、知らなかったけど名曲だなーって思うものに出会うと、何回も何回も聞いてるんです。その内の1つです。

男の振る舞いが美しいと感じる曲




ー自分にさしてこの傘を、私は濡れてもいいのって
あなたそんなに濡れちゃって、そんなあなたに私は惹かれていたのって言うような内容だと私は解釈してる

何か思い出す事あるんですか?

ー昔の彼がこういうタイプだったの。
自分よりもあたしっていう。
17年続いたんです。

今は?

ーそれから上手くいかないんですよ。
だけど60才までにはいい人を見つけようかなって

傘をさしかけてくれるような。

ー盾に。ほんとはならなくていいんです、盾に。自分の事は自分で私大丈夫だから。
だけど、盾になるよっていうぐらいの気持ちが、言葉じゃなくってところどころに見える男の人がいいかなっと思うんです。

どんだけ~!

ーどんだけ~!



         



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