サワコの朝

サワコの朝 2017年9月30日

はるばるニューヨークからお越しいただきました、デビュー40周年のシンガーソングライターの矢野顕子さんです。

拠点はニューヨークですよね?時々営業で日本に帰ってらっしゃる?

矢野顕子さん
ー出稼ぎでございます。

ニューヨークに移住して30年くらいですか

そうですね、1990年から住んでますから、結構な年月になります。


楽活動する意味においてもニューヨークと日本では感覚が違ったり、影響受けたり?

矢野顕子さん
ーものを作る人間が世界中から集まってくるので、切磋琢磨するシーンが街の中に脈々とあるんですね。
基本的に年齢を、人に聞くことも自分から言う事もないので。


矢野さんが思う日本のここがヘン!

矢野顕子さん
ー新聞でも必ず( )に何才って書かれる、あれってトンデモナイよね。って思うワケですよ。
それはアメリカには一切ないんです。

個人が何をしたり考えたり?

矢野顕子さん
ー個人が作ったもので評価されるので、その人の私生活の部分をつつくような質問っていうのは、やっぱ失礼、ですね。

スミマセン、今日は失礼な質問をたくさんするかも知れません。


矢野顕子さん
ーここは日本でございますので

知ったこっちゃねーやって答えて下さっても結構でございます。

矢野顕子

生年月日:1955年2月13日 


記 憶 の 中 で ら め く

まず1曲目

幼少期から練習で弾いていた曲

矢野顕子さん
ーロベルトシューマンの楽しき農夫
これはいいメロディーですね、すごくよくできてる

今でも弾かれる?

矢野顕子さん
ー今私が弾くと、原形をとどめてなかったりもするんですが、でもこの原型が好き!



3才でピアノを始められたですか?

矢野顕子さん
ーはい

顕子さんどういう性格の子だたんですか?

矢野顕子さん
ー生まれつき目が悪かったので、楽譜がちゃんと見えない。指使いが書いてあるでしょ、ああいうのが見えないから、どうだっていいやーって。自分で気持ちいいように弾くようにしてると、そのうちに強弱の記号とかも、そんなの私にとってどうでもいい、私はこう弾きたい。

全部無視して?

矢野顕子さん
ー基本的にそうですね。


母とピアノで会話していた

お家へ帰ってお母さんが「今日は学校で何してきたの?」って言うとピアノで答えてったいううわさがありますが?

矢野顕子さん
ーそれは本当です。
幼稚園の時に遠足に行って、帰ってきて、母が「どうだったの?楽しかった?」って言った時にそのままピアノの前に行って弾いて「こうだったの」って言ったら母が「そう」って理解してくれて。

口で説明するよりピアノを弾いた方が自分の気持ちが?

矢野顕子さん
ーおそらくピアノを弾いた方が早かったんでしょうね。

即興は本来誰でもできる!?

ピアノと歌で自在に生活を表現できるっていう事が矢野さん独特というか。

矢野顕子さん
ーいや、そんなことないと思うよ。そういう事ができる子どもたちって結構たくさんいるんですけど、大人になるまでそれで食っていこうと思う人は、そういないかもしれない

いつか自分はピアニスト、プロになりたいと思われたのはいつ頃ですか?

音楽で生きるために高校で単身上京


矢野顕子さん
ーそれ以外の選択肢を考えた事がないんですね

迷うところはなかったんですか?

矢野顕子さん
ー何にもなかったですね
ピアノを弾くって事しかないので、勉学をするとかいい大学に行くとかサラサラなく、音楽で自分を表現することに結び付くものがないだろうかということで。その当時高校生でjazz研って軽音楽部でjazzをやってるのは青山学院にしかなかったんです、それで「じゃあここだ!」それで猛勉強しまして。


だって受験がありますものね、そのためなら努力する、潔いいから。


矢野顕子さん
ーやったんですねー。

それで合格したんですね

矢野顕子さん
ーはい。

そこで勉強して為になったって事はあったんですか?

矢野顕子さん
ーないですね。
入ったら、(自分の他に高校生で)プロ志望なんて人はいないんですね。
私はヤル気満々で、学生生活を楽しもうゼ!なんて甘っちょろい事を考えてる暇なんてなかった。


作家・安部譲二は東京の父!?


安部譲二さんはお父様のお友達だったんですか?


矢野顕子さん
ーそうです。うちの父も随分派手に遊んでた時期がありまして、その当時の知り合いで、「うちの娘をよろしく」って言って「よござんす」みたいなことになったらしいです。


どこで変な男に引っかかるかわかんないからチェックしといてくれるって?

矢野顕子さん

ーまったくその通り
安部さんが奥様名義で青山のロブロイってお店をやってまして、そこは文学の人たちのたまり場だったんですね。小松左京さんとか星新一さんとか。よくいらしてたのは筒井康隆さんとか五木寛之さん。
そこでピアノを弾いてて。

歌を歌い始めたきっかけは?


矢野顕子さん
ー安部さんの奥さんが「ちょっと歌も歌ってみなさいよ」って。
それでエルトンジョンの「You're song」って曲が好きで、それをちょっとやってみたら、大喝采だったんです。
それで安部夫妻なんかは、新宿の厚生年金会館を借りてお前のコンサートをやろう!なんて言って「はぁ?」って。

ジャパニーズガールで衝撃的なデビューをされて、YMOと組んだのはその後ですか?

矢野顕子さん

ーずいぶん後ですね。
みんな音楽仲間だったんです。YMOの人たちは最初は私のバックバンドだったんですね。
それが2か月くらい経ったら逆転しまして私が後ろに行く、でもそれは上下関係があるわけではなく。

あちらが有名になっちゃったと
テクノって言う音楽と組むって言うのはどうでしたか?

矢野顕子さん
ー面白かったし、結局YMOっていうのは最高のダンスバンドだったんですね、私にとっては。
あれだけのリズムを作り出すバンドって言うのは。
YMOはテクノミュージックでみんなコンピュータ、デジタルとか考えますが、実はもっともっとアナログで、マンパワーのバンドだったんです。ですから3人とも上手かったし、今でもそうですけど。


春先小紅」がヒットしたのはその後ですか?

あのレコードもYMOがバックをやってくれてますけど、ちょっとテレビとかね、出してもらって。

業界では知らない者はいない矢野顕子ちゃんだったけど、一般的にはこれですよ!



矢野顕子さん
ーあの頃はよくやったなと思いますね、ちゃんと歌詞も間違えないで。

「春先小紅」の歌詞は糸井重里さん?

糸井重里さんとは歌詞で通じ合えた

矢野顕子さん
ーはい、そうです。これ以前からCMを造る職人同士としてお仕事してました。

その時、糸井さんって方をどう思ってたんですか?

矢野顕子さん
ー自分で書くときに、最も詩を書くのが苦手で。
歌詞にするってことは、そこからさらに口から出して、もうそこから責任が生じるって思ってるのね。
だからもしそこで私が思ってもみないようなこととか、ウソとか、「歌の上だから平気!」なんてそういう事ができないの、自分で書くときは。
例えば、「私を捨てたあの男が恨めしい」とかそういうような歌を書いたとして、それを歌いたいとは思わない、そう思ってないから。もし私とは違う考えの人なら「恨めしい恨めしい」って書いちゃうかもしれない。でめお、糸井重里はそうじゃなかった。
同じものを見て同じように「これうまいよね」って言うし、「これちょっと違うよな」って言うし。それができるというのは早くからわかっていたので。


通じ合うものがあった?


矢野顕子さん
ーありましたね

いいコンビを見つけちゃったんですね。

矢野顕子さん
ーそうなんです。だからね、死なれると困るんです。

今でも変わらないんですか、その感覚は?

矢野顕子さん
ー変わらないですね



歌詞を書くのは苦手だという矢野さんですが、市の内容が評価され国語の教科書に掲載されたのが

「ラーメン食べたい」

ラーメンたべたい
ひとりでたべたい
熱いのたべたい
ラーメンたべたい
うまいのたべたい
今すぐたべたい
チャーシューはいらない
なるともいらない
ぜいたくいわない けど けど
ねぎはいれてね・・・・



矢野顕子さん
ー夜中にラーメン食べたいと思ったら、曲ができちゃった。
他何にも考えてないんです。
食べたい一心で作りました。

チャーシューはいらなかった?


矢野顕子さん
ーラーメン食べたいときって言うのは、おにぎりでいいでしょとか、うどんでいいでしょとかじゃダメ、ラーメンじゃないとダメっというそのくらいの強い力を持ってますよね、あの食べ物は。
その気持ちを素直に表してみたつもりでした。


今の若い人たちは教科書で矢野顕子さんを知った人が多いそうですよ

矢野顕子さん
ーいやー、申し訳ない


申し訳なくないですよ

矢野顕子的「サッチャン」の捉え方

矢野顕子さん
ーサッチャンも非常に乱暴に言ってしまえば素材なんです。
でも、私がやってみたら「サッチャン」の中に、こんなにいじらしい、こんな気持ちが詰まってた。そしたらそこにフォーカスして。だから、この気持ちのための曲になる。


歌詞に共感すると曲がついてくる


歌詞に共鳴する瞬間があるんですか?

矢野顕子さん
ーありますねー


矢野顕子さん
ー色んな曲を聞いて、自分でやりたいなーて思った曲で最初にやるのは、歌詞をチェックする事。
曲はほら、どうにでもなるから。

じゃあ、全然違う曲になる場合もあるんですか?

即興はどこから生まれる?


矢野顕子さん
ーありますねー
私のやってる事ってそんなに特別な事でなないんですね。そのこと自体は。

今の活動がって事ですか?

矢野顕子さん
ーただ、即興とは言え、ここで、はい!やりなさいって言われた時に・・・
例えば1万円出してくださいって言われた時に、1万円、お財布に入ってるかな?あっ、ちょっと銀行でおろしてきますと言うように、やっぱり持ってるものから出さざるをいないですよね。
ない袖は振れないので。
という事は、やっぱり即興でパッと出すと言っても自分の中に蓄積したものがないと。いろいろなものを聞いたり、試したり、作ったり壊したりしたものが自分の中に入っていて、そっから出てくるんだと思います。


ただデタラメで矢野顕子にはなれない

矢野顕子さん
ーデタラメに聞こえる時もあるかも知れませんが。









いつ聞いても楽しくなれる曲

矢野顕子さん
ーいつ何時聞いても大好きな曲で、ファレル・ウィリアムスの「HAPPY」って曲。




人が楽しそうにしてるのを見るって言うのは、ホントにいいですよね。

楽しそうですよ、矢野さんも
よく踊りに行くな?

矢野顕子さん
ーいえいえ、そんなことはないですよ、ネコと一緒に踊ってます。

宇宙飛行士になりたいという噂が広まってますが?


矢野顕子さん
ージョン・グレインって方がね、70才で宇宙に行ったんです。
それで宇宙飛行士になれるだろうかと思って、色々調べたら、訓練を水中でもするんですよ。困ったな私泳げないぞと。それで水着を買ってコーチのところへ行って「泳げるようにしてください」って。
1年半ほど前から始めて、今は50メートル泳げるんですよ。すごくない?

やりたい目標があると・・・。
努力の人じゃないですか。

矢野顕子さん
ー好きな事はね。

毎日が充実してる人ってこんなに幸せそうなオーラが出るんだ!
とても素敵な矢野顕子さんでした。

  
         



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