サワコの朝

サワコの朝 2017年日12月23日

今日のゲストは、言っちゃなんですけども、すごく若いわけじゃないんですが、もーずーっと何十年も体を張って、そのプロ根性は、拝見するたびに尊敬しております。
山本リンダさんにおいでいただいております!

15才の時「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。
お人形さんのような容姿と鼻にかかった可愛い歌い方がウケ、100万枚の大ヒットを記録。

それから6年、21才の時・・・

こんどは「どうにもとまらない」で大変身。
へそ出しルックに攻撃的な感性、そしてパワフルな歌声は日本中に衝撃を与えました。
しかし、今も歌い続けるこの歌を世に発表するまでにはスポ根ドラマさながらの猛特訓があったそうです。

歌手生活50周年のコンサートでも求められるのは「どうにもとまらない」や「狙い撃ち」のような激しいもの。
健康じゃないとできないんですよねーとリンダさん。
空き時間があれば常に体を動かしているそうです。

普段やらない動きで脳トレ


逆の事をする、後ろ向きで歩くなどすると脳が鍛えられるそうです。

りんだ

山本リンダ:日本の歌手

出身地:福岡県北九州市
身長:168cm
生年月日:1951年3月4日


記 憶 の 中 で ら め く

岸洋子さんの「夜明けのうた」



子どものころからシャンソンが大好きだった、テレビで越路吹雪さんを見て、こんなカッコいい世があるんだーと思って。デビューしてからは岸洋子さんのステージを見に行ったりレコードを買ってきたりしました。ほんとに素敵でね、胸がキュ―ンとなるんです。
岸さんのステージを見るとね、人生の歌とか、いろんなものがスーッと入ってきて、涙がぽろぽろ流れるんですよ。歌って素晴らしいなーと思って。私は10代の頃に40代、50代そして60代70代極力長く歌える歌手でありたいと決意しちゃったんです。


 お母さまは日本人。お父様はアメリカの軍人でリンダさんが1才になる前に朝鮮動乱(朝鮮戦争)で亡くなられた。
モデルになったきっかけは小学校6年生、12才の時。自身で応募。
母の反対はなかったが、モデルになって売れてきていい気になってんじゃないか?天狗になりかけたら、すぐに注意された。そんな人間になるんならすぐにやめてくれって言われました。

モデルの仕事をしながら歌のレッスンもしていた。
幼稚園の頃、歌を歌いながら母が帰ってくるのを待っていた。歌っていると幸せな気分になるんですねー

デビュー曲「こまっちゃうナ」誕生秘話

モデル事務所の社長が、作曲家の遠藤実先生のところへ連れて行ってくださって、社長が「この子に着物じゃなくて洋服を着せて演歌を歌わせよう」って言われまして、私は心の中で「えっ!演歌を歌うの?」って思いました。演歌はあんまり好きじゃなかった。遠藤先生にどんな歌が好きなの?って聞かれて「夢見るシャンソン人形」を歌って。そして先生から「君はボーイフレンドはいるの?」って聞かれて、有名な先生が目の前にいるって言うだけで緊張してるのにそういうことを聞かれて、私は思わず「こまちゃうナー」って返事をしちゃったんです。
その事が遠藤先生の印象に残って、家に帰る車の中で作ったのがこの曲なんだよって言われました。

15才の時デビュー曲「こまっちゃうナ」が100万枚の大ヒット!紅白歌合戦(1967年)にも出場しました。
リンダさんーあの頃ミニスカートをはいてたのでNHKさんには「スカートが短すぎるよっ」とか言われたんですけど、「これは今のファッションなのに」とか思いながらぜんぜん長くしないまんま出ました。



サワコ「こまっちゃうナがヒットして次々といろんな曲を作っていったんだけれど?

リンダさんーだんだんヒットしなくなってきまして。「ミニミニデート」とか「帰らなくちゃ」とかいうのもあったんですけど、だんだん中ヒット、小ヒット。そしてそのうちぜんぜんヒットしなくなって。イメージチェンジしたいと思っていろんな曲に挑戦するんだけれど、なかなかうまくいかなくて。
皆さんのイメージの中には「こまっちゃうナのリンダちゃん」っていうのがあるもんだから、私はもうお化粧を変えたり、ヘアスタイルを変えたり、衣装も大人っぽくしたり。

サワコ「そしたらリンダプロジェクトっていうのができたんでしょ?」

リンダさんーそうなんです。1971年だったんです。作曲者、作詞者、プロデューサーが決まり。ところができない、曲が。わたしはプロジェクトがなくなっちゃうのかしらと思った。
お話頂いた秋は過ぎ、冬になり、春になり、もう花が散るんじゃないかって言う時にですね、呼ばれて
行きましたらば、都倉先生がおいでになりまして

サワコ「ヒットメーカーの都倉先生が!」

リンダさんーヒットメーカーになる前の都倉先生。曲を聞かされて、カッコいいと思いました。そこに詩が届きまして、「噂を信じちゃいけないよ」「私の心はうぶなのさ」「もうどうにもとまらない」
カッコいい!!

サワコ「その詩が阿久悠さん?」

リンダさんーそう、阿久先生。詩を読むとポロポロ涙が落ちるし、私が待ってた通りの歌だ!って。
私が生まれ変われる歌だって、ホントに思いました。
これでダメなら私は歌手としてもうダメだろうって本気で思いました。

<

サワコ「この曲に賭けようと?」

リンダさんーはい。

サワコ「はじめは、ずいぶん怒られたって?」

リンダさんー都倉先生にはあんまり怒ったって言うなって言われてるんですけど、レッスンが始りました、うれしい、なんて素敵な曲なんだろうってニコニコして歌うと、「これは笑う歌か?よく詩を見てみろ、笑うな。口は縦にするんだ。腹から声はもっと出ないのか!よくそんなんで歌手やってたな!もっと睨めーー」なんて言われるんですよ。

サワコ「ボロクソに言われた」

リンダさん
ーはい

そして猛特訓の甲斐ありレコーディングはうまくいった。

あの歌はブラジルのイメージ。どんな衣装にしようか・・・
おへそを出そう!下がったジーンズ
そうしたら、あのリンダちゃんがこんなになっちゃったーってみなさんびっくりしちゃって

サワコ「私もびっくらこきましたよ」

リンダさん
ー私は真剣だったんですよ。
崖っぷち、これでダメなら・・・と言う気持ちでした。

子どもたちが喜んでくれてレコードが売れ始めました。

「狙い撃ち」歌詞、うららうららの意味



うららに意味は特別ないんですよ。
詩の主役になる。狙い撃ちの女性はね、私についてらっしゃーいって感じ。
自分らしくのびのびと生きていく!っていう。
「狙い撃ち」の前の前の時代の歌は男尊女卑の歌だった。

サワコ「お邪魔はしませんけど、ついて行きますみたいな歌が多かった」

リンダさん
ー阿久先生はこれでは、世の中は良くならない。
本当に日本が平和になって、いい時代になるためには、女性がのびのびとしていなくちゃいけない。
女性を大事にする、そういう世の中にならなくちゃいけない。
また、女性がのびのびとしていれば、男性も幸せになれる、それが本当の平和なんだって阿久先生が思われてた。そういう歌を作りたい、今の状況は良くない。
そのなかで山本リンダのプロジェクトをお願いしますって言われた時に、よし!リンダでやってみよう!と思った。
家の中でお母さんが幸せだったら、家族みんな幸せですもん。
だから阿久先生はすごいなー、素晴らしいなーって思いましたね。

母からいつも言われた事

リンダさん
ーあつこ(本名)勘違いするんじゃないよ、どう生きるかが大事なんだよっていつも言っていました。
いつも励ましてくれて。
私が元気に、嬉しそうにしてると母は喜んでくれていたので、落ち込みそうになると母が悲しむと思って前を向くように、後ろ向きになると母が悲しむ、そう思ってね、なんとかやってきました。




ジョン・レノンの「LOVE」
ジョン・レノンの愛を感じます。





        



にほんブログ村 芸能ブログ 芸能ニュースへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ニュースブログ 話題のニュースへ
にほんブログ村