小室引退


会見日時:2018年1月19日
場所:南青山のエイベックス本社
報道陣:150人
ムービー:13台
スチル:74台
会見時間:約1時間40分

生年月日:1958年11月27日 
出身地:東京都府中市
身長:167cm
体重:57kg
血液型:O型


引退を決意 不倫騒動のけじめ

 小室哲哉です。
本日はお忙しい中、わざわざ足を運んでいただいて、ありがとうございます。
今回の報道により、妻であるKEIKO、家族、ファンのみなさま、その他スタッフのみなさま、いろいろな方々にご心配をおかけし、お相手の方にもご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
僕なりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました。

KEIKOは女性から女の子みたいに

2010年まで遡らせていただきます。
金銭問題による、執行猶予付きとはいうものの、有罪判決を受け、2010年から5年の歳月を過ごしました。
そのなかで、妻・KEIKOの突然の病気。
救急搬送から入院、実家のサポートのおかげで仕事を続けてきましたした。

 KEIKOの後遺症は、
身体的な後遺症がなく、脳の障がいで、少し欲がなくなってしまったりとか、僕から見るかぎりで、女性から女の子みたいなになったのかなという感覚。
残念なことに、音楽に興味がなくなってしまった。
カラオケに誘ったり、音楽のネットを見せたり、CDを聴かせたり、一緒に聴いたりとか、僕なりにいろいろ誘うったが、音楽に興味を持つということは日に日に減ってきた。
歌うことはもうなくなりました。

漢字のドリルを

 KEIKOは小学4年生ぐらいの漢字のドリルを楽しくしてる。
夫婦と言うより父と娘。
大人の女性との対会話のやりとりというのが日に日にできなくなってきた。
電話、対峙して話すことが1時間、10分、5分、3分みたいなかたちで、非常に間が持たなくなった。
何度も繰り返しの質問であったりとか、そういうことでちょっと僕も疲れ始めてしまった。

 僕自身は、こちらのエイベックスのみなさまの支援、それから周りのいろいろな音楽関係者の方たち、いろいろなエンターテイメントの方たちの支援により、本当に恵まれていまして、いろいろな仕事をいただき、
それまでの当たり前だなと思ってた仕事が、当たり前ではなく、本当にありがたいなと。
どんどん仕事が入ってきて、本当に幸せだなと思う日々が続きました。



ストレスによる不調

 昨年2017年、C型肝炎になってしまいました。
2人で闘病みたいになってしまいまして。
当たり前ですが、KEIKOが普通の家庭の妻であるというわけではないので、闘病に関して看病であったりとか言葉をかけてもらうとか、そういうことはなかなか難しい状況で。
思い上がったことかも知れないですけれども、1人で闘病生活をして半年C型肝炎の治療をしました。
今もまだ闘病は続けております。
今さらですけど、そのときに仕事を縮小したりとか、芸能活動を縮小すなどして、もう少し2人の生活を基本に考えるべきだったのかなぁとは思います。
ついついみなさんの期待に応えたいという気持ちが強くて、テレビ、音楽創作などの仕事は続けてしまいました。

A子さん

 A子さんのクリニックは早朝や昼休み、ときには深夜イベント終了後、ホテルの滞在の場所であったりとか。そういうところで複数で来ていただいたことも、もちろんありますが、どうしても不可能なときはA子さんが往診に来てくれる日が増えてきました。
自宅でKEIKOがいるときにも往診は複数回来ていただいています。
残念ながらKEIKOの記憶にないという話は聞いていますが、実際は現実としてはそういうことがあります。
僕の甘さでなんとなく「容認してもらっているのかなぁ」というところもありました。
女性と会話する機会というのがほぼない状態が何年も続いていたので、
いろいろ話をしてしまったりとか、メンタルケアというのはきれいな言い方ですが、雑談に付き合ってもらった。
普通の病院の看護師さんの方にはそんなことに付き合ってもらえるわけもなく。
A子さんが雑談を聞いてくれて、点滴もあります。
すべて薬事法に基づいた医師の指示に従ったものです。
ただ、その施術の前後であったケア、いわゆる雑談みたいなことで心のゆとり、笑い顔みたいなこと。僕が普段できないこと、話せないこと、なんとなく楽しめないこと、そういう話を聞いてもらったりとか、そういう日々が2017年の8月後半くらいから始まりました。

男女の関係はない
 体調不良で来ていただいて、女性として来ていただいたことは一度もない。
精神的なこと、医療のサポート、それからぼくが体調不良で非常にお恥ずかしい話なんですけど、男性としての女性を呼び込みたいというような欲求というもののとは、ちょっとかけ離れておりまして、男女の関係というのはまったく考えてないです。
ありません。
誤解を生じさせてしまいましたし、往々にしてそういう男女であり得ることを想像させるような環境だったと思います。
これを最近、みなさんで使ってらっしゃる言葉で、使わせていただきますが、不徳のいたすところ、という言葉以外にはありません。

不安
 去年58歳の時点で、59歳になる、2018年には60歳を迎える。
1つ大きな節目。
才能、能力、創作とかではどうなのかな?という疑問が出てきました。
期待に応える音楽制作のレベルなのかな?ということ。
正直やり直し、やり直しということも増えてきました。
やっとの思いでできあがったもので、次の仕事の日々が多くなりました。
簡単にいうと不安、懸念、自信のなさ、というようなことが日増しに増えてきました。
KEIKOにも簡単な言葉で、悩みは言いましたが、先ほどお話ししましたように、音楽に興味がない人になっているので、「そうなんだ」という位のことだったのかなと。
不安な日々は続きました。


胸騒ぎ
 医療・精神的な知識を持ったA子さんがサポートしてくれる日々が続いて、ついつい頼ることになってしまいました。
正直わからないですけども、「こういった事態が起こるだろう」という胸騒ぎはしていました。
「こんなことをしてまかり通るわけがないな」という気持ちをずっと持っていました。
わかってもらいたいんだけど、わかってもらえない。
聞いてもらえない・・・わけでないんですけど。
聞いてはくれるんですけど、「理解をしてもらっているのかな?」と思う妻。
ピアノのフレーズをちょっと弾いても、30秒も聞くのがもたないくらいの妻。
そんなところで依存がA子さんに強くなってしまいました。
そういったピーク、自分でも胸騒ぎというか「もうここまでだな」と思っていた。
ちょうど本当、矢先というかタイミングというか。そういうことなのかわかりませんが、週刊文春さんが・・・。
戒めみたいなことなのかなと、今思っています。









引退
 皆さまに「お疲れ様」と言っていただいているような、祝福を受けまして、グラウンドの中に立ってスポットライトを浴びて、「長年ありがとうございました」というような、アスリートの方とか野球選手の方とかの引退セレモニーみたいなことを夢を見た日々も、ここ1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月は正直ありました。
しかし、自分の甘さからそういう環境ではなく。
こういったすばらしい場所ではあるものの、勇退される方とはかけ離れたこういった状況で、
今回の報道による罪を償うとともに、自分の身体的な限界であったりとか、それからこの音楽業界、エンターテインメント業界に僕の才能が本当に必要なのか、「もはやここまでかな」「ほかに音楽の新しさみたいのが作れるものがあるのかな?」という自問自答をずっと続けてきました。
報道されたというか、「報道していただいた」という言い方かもしれませんが、僕は音楽の道を退くことが、私の償いであると思いましたアーティストの方にとっても大切な曲だなと思ってもらえる楽曲もあったかなと思います。

 
今後も「この曲いいよな。歌いたいな。聴いてみたいな」とか、そういうふうに思ってもらう曲もあるのかなと思っています。そういう楽曲は退かないで生きていってほしいなと思っています。
僕のものではなくて、その楽曲はその歌う方のものなので、その方が生かして頂けるものであれば、そうなっていってほしい・・・
と思えば思うほど、僕の今のようなふらついた考え、自信のない考え、芳しくない体調、そういうことでのネガティブ、否定的、あまり明るくない、こういった状況が、自分が作った曲に影響がいってしまうのは、一番僕が望んでいない。

 
少し早まってしまったんですが、作曲家、音楽家、音を作るのは僕の仕事です。
すごい技術があるわけではないですが、ピアノであったりとか、そういったライブ演奏であったり、そういった音楽に関する仕事をすべて退きます。
現在、引き受けさせていただいている仕事はたくさんあります。
そういう方とは直接にはまだお話をしてないですし、
どういった思いを抱いて頂いているかということを聞かなければいけないんですが、望まれるのであれば、期待に応えるべく最低限のことを全うしてはいきたいと思っていますが、自発的な音楽活動は、本日をもって退こうと思っています。

 僕は基本的にテレビを中心とする芸能の方の仕事とは多少違うので、「本日退きます」と言っても、この夕方から姿を消す、ということが中々見えにくい職業でもあるので、興味を持たない方も含めてご迷惑をかけた償いとして音楽生活の引退発表とさせていただきます。


最後に

 今までのみなさんの報道の対応の仕方とは少し様子が違うかもしれません。
取材を受けてまだ5日しか経っていないので、今後の生き方であったりとか身の振り方などは少しお時間を頂いて考えたいと思っています。
そこにはKEIKOのことも含めてですが、一緒に考えていきたいと思っています。
勝手な苦渋の決断ではあります。
でも、今回のお騒がせした中での僕のかたちの償いではこれが精一杯です。
これからどれほど生活水準が下がり、どうなるのかは計り知れません。

まだまったくわからないですが、ただこういった場所で、こうやってみなさんに注目していただけるようなことは、もしかしたら今日が最後なのかなと思っております。
実直に受け入れようと思っています。

 TMネットワークから始まって今年で35年になりますが、本当に関係者のスタッフの方からメディアのみなさまがいなかったら、世の中に僕の音楽が広がるわけもなく、本当にお世話になったと思っています。
35年近く、本当にありがとうございました。
心から感謝しています。
まだ1週間足らずなので、戸惑いも正直ありますが、まずはみなさんの報道というものを通して、その向こうにいる方達に知っていただくのが先決かなと思って、今ここに座ってしゃべっております。
少し長くなりましたが、本当に心より感謝します。
ありがとうございました。

 時折、涙で声に詰まる場面があり、見ていて辛い記者会見でした。
妻KEIKOさんの介護、ご自身の病気もあり、しんどかったんでしょうね。
A子さんとの事は、安易だったかもしれませんが、週刊誌、コワいわ
正義をかざして、ひとひとりの人生を狂わすほど追い詰めるなんてね。


質疑応答

 何度も涙をぬぐう姿が印象的です。

左耳の耳鳴りが今も消えず、体調もすぐれず来年は60才、一般的な社会においての定年。

記者:引退を決めたきっかけは文春の報道?

ーそうですね。

記者:思い描いていた引退のカタチとは違った?

ーはい、全く違います。

記者:A子さんとは現在も連絡を取り合っているの?

ー事務的な連絡はせざるを得ないので、連絡は取っています。誤解を招かないように今後は戒めてやっていこうと思っています。

記者:KEIKOさんにはお詫びをして納得してもらっている?

ー全部話してあります。理解をしてもらえるかと言うのはこれからです。

記者:腕を組んだり、同じベッドで眠ったと認めているがどういう風に受け止めたらいい?

ー大前提で体調不良で来て頂いてる方で、一般の男性が望む女性を招くという感覚とは違う

記者:精神的な支え?

ーかなりそうでした。お恥ずかしい話ですが、5年6年と普通の男性としての能力がなくて・・・。
精神的な支えでした。

記者:KEIKOさんへの説明はいつ、どんなリアクション?

ー大変特殊な例だと思っておりますが、「こういう事でゴメンね」と言うと、簡単な単語で「わかったよん」「これは嫌だな」短い言葉のやり取りをしていました。

「わかったよん」一般の奥様の言葉とは違うというか、どこまで理解してくれているのか・・・。

記者:どこまで理解してる?

ー年に数回普通の会話をしてくれる時があり、その時に「私、普通じゃないよね」といってくれる事があって、僕の甘えですが、脳のどこかが寛容でいてくれてるのかな・・・

記者:離婚も考えてる?

ー女性と言うより子どものようなKEIKOのほうが愛が深くなっています。

記者:活動休止と言う選択肢はなかったの?

ー2010年に、大変な事をした、恐ろしい事をした。
ぼくの場合は普段の生活(執行猶予がついた為)はできたけれども、やっぱり償わないといけないんだなーと言うのが他の方よりも強いのかなーと思います。
自粛とかこのぐらいでいいんじゃないかというような償い方は違うんじゃないか。
自分ができる最大限の償い方をしないといけないんじゃないか、というところが重なってしまってる。

記者:満身創痍にお見受けしますが、引退後は、KEIKOさんと幸せに暮らしていくよという気力はお持ちですか?

ーこうして、皆さんの前でお話するというのはが今精一杯のエネルギーと言うのが正直なところ。
この後、なんて事を言ってしまったんだろうか、という悔いが出てくることは十分考えられます。
「悔いなし」なんて言葉はひと言も出てこないです。
ただ、この日にち、この環境だから出てこないだけであって、誕生日であったり、何月何日をもってだとか、例えばライブをやってだとか楽しく、勇退できる環境であれば「悔いなし」と言えたのかなーと思います。遅かれ早かれというのが精一杯です。
ファンの皆様の声は聞いていきたいと思っています。

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