サワコの朝

サワコの朝 #334

 2018年6月23日のゲストは、来年デビュー40周年を迎えられる、ハッとしてグーな田原俊彦さん 


田原俊彦



サワコさんとは、初めましての挨拶をされてました。
同じ芸能界に居てもなかなかお会いすることってないんですね


生年月日:1961年2月28日
出身地:横須賀市

サワコさん
ー伺うところによると、あのカワイイ男の子の頃と体重も体形もほとんど変わってないって?

田原俊彦さん
ーウソです!

サワコさん
ーあっ、ウソなの・・・。

田原俊彦さん

ー60㎏をバロメーターに、落ちたなっとかちょっと超えたなとか。
59㎏から61㎏を行ったり来たりしてたのが・・・
(サワコさんに耳打ち)63㎏あった

サワコさん
ーあら!

田原俊彦さん
ーびっくりしちゃって、ステージに気合い入れました。
そしたら1㎏痩せました。


田原さんはオレンジの椅子を選びました。


サワコさん
ー伺うところによると、今でも毎年、全国コンサートツアーをやって、ディナーショーもやってる。

田原俊彦さん
ーそうですね、コンサートはデビューした年から毎年欠かさずやってますし、ディナーショーも27才からやってるんで30年やってるかなって感じです。

サワコさん
ーだって、歌うだけじゃないんでしょ?ずっと踊ってみたいなもんでしょ

田原俊彦さん
ー僕の曲ってこの6月にでるのが74作目なんですけど、65曲は踊ってますからね。
だからその曲をコンサートの構成にバーッと並べると、死んじゃいますっ!

サワコさん
ー激しくオリンピック選手くらい?

田原俊彦さん
ーファンの人も心配してくれて、そろそろおしゃべりを増やしてもいいですよって。
途中休憩タイム入れませんかって。
スレージが始まる前に裏でスタンバるでしょ、行きたくないの。
もうイヤって拒絶するの。悪いけど。

サワコ
ー登校拒否の小学生みたいに
田原俊彦さんーでも始まって音がなるでしょ、そしたらバーッと全力でやっちゃう。そして終わった後に湿布貼りまくるんですよ。


記 憶 の 中 で ら め く

サワコさん
ーでは、1曲目田原俊彦さんー僕がこの世界を目指すことになったと言っても過言ではない、ジャクソン5、マイケルジャクソンの
I wont you back

サワコさん

ーこれは、いつ頃聞いて衝撃を受けたんですか?


田原俊彦さん

ーぼくは山梨の甲府に居たんで、音楽については邦楽しか知らなかったんで。
15才の夏に初めてジャニーズ事務所に足を運んで、レッスンの許可を頂いて、合宿所で初めてジャニーさんが見せてくれたジャクソン5の映像に衝撃を受けました。
なんじゃ?!こりゃっ!って。
こんなにすごい人がいるんだって。




ーこれに衝撃受けちゃって。

15才でこれ見たらビックリしちゃいますからね。
踊りたくなっちゃいますね。


サワコさん
ーそれでもう、アイドルになるぞって?
それでジャニーズ事務所て言うのはどううやって知ったんですか?

田原俊彦さん
ーそれはね、僕の兄弟の構成が、上にお姉ちゃん2人と下に妹がいて。


サワコさん

ー女系家族?


田原俊彦

ー僕は小学校1年生の時に親父を亡くして、家に男は僕一人だった。

だから家の中にある本が少女フレンドとか、平凡、明星とかそこら中に散らばってるから。


サワコさん

ーアイドルがいっぱい載ってる雑誌



何のツテもなくジャニーズ事務所を訪ねた


田原俊彦さん
ー見てるうちに、何だか楽しそうだなーって思って。
俺もあの中に入ってみたいなって。

サワコさん
ーご自分で山梨から一人でジャニーズ事務所の門を叩いたんですって?

田原俊彦
ーそうなんです。もちろん東京もわかんないんで。
まずは新宿駅のホームの多さに驚いて酔いそうになっちゃって。帰った方がいいかなと思った。
ビビりながら飯倉片町にあったジャニーズ事務所に。
事務所の前を行ったり来たり10往復くらいしてる時に「何してるの?ボク」って秘書の方が声をかけてくれて。
たまたまその時東京にジャニーさんがいたので、赤いトレーナーにオーバーオールを着た男の子が行くからって電話してくれて。
ジャニーさんが日劇に居るからそこに行きなさいって言ってくれて。
その日劇の楽屋で初めてジャニーさんにお会いした。

サワコさん
ーどんな印象だったんですか?

田原俊彦さん
ーはじめわかんなくてすれ違っちゃったんですよ。
でも、ポクポクって高下駄のような音がしたから、今のおじさんじゃないかなっと思って。
それでジャニーさんも気が付かれて。
その翌週からレッスンに来なさいって言ってくれました。

サワコさん
ー山梨から通ったんですか?

田原俊彦さん
ーはい

サワコさん
ーお母さまは、東京で歌ったり踊ったりお金かかるわっていう反対派されなかったんですか?

田原俊彦さん
ー反対派なかったです。
経済的には母子家庭で全然余裕ないですからね。
遊ぶお金とかは自分で新聞配達したりとか、山梨なんでブドウ園のお手伝いをしたりとかしてして迷惑をかけないように資金を貯めて。
それと交通費はジャニ―さんが出してくれたんですよ。
それがなかったら今の僕はいないって言っていいくらい。
本当に良くして頂いたんで。

サワコさん
ーデビューしたのはレッスンが始ってどのくらい経ってから?

田原俊彦さん
ー高校を卒業してから金八先生で

サワコさん
ー金八先生で、田原さんと近藤真彦さんと野村義男さんの他の金トリオができて。
ギャーってブレイクして。

田原俊彦さん
ーほんと、あれよあれよと言う間にね。
社会現象になるような大きな学園ドラマになりました。

サワコさん
ー3人のキャラの違いって?

田原俊彦さん
ーぼくがスイーツな感じでマッチがワイルド、よっちゃんがギターを弾く。
よっちゃんホントにいい子なんですよ。よっちゃんがスカウトされる瞬間、僕一緒にいましたからね。
ジュニアのみんなと、ジャニーさんが代々木のスケートリンクにに行こうって連れて行ってくれて。
その時よっちゃんがスケボーしてて、ものすごい可愛らしくて、ジャニーさんがスカウトしたんです。


サワコさん
ーそんな合間にもスカウトするんですね

田原俊彦さん
ー油断も隙もなく

サワコさん
ーよっちゃんのどこがいい子だったんですか?

田原俊彦さん
ー人懐こくて、めっちゃ優しくて。性格は間違いなく一番いいですよ。
良すぎてもダメなんですよ、この世界は。

サワコさん
ーそうですね

田原俊彦さん
ー切り倒して、踏み倒していくいくくらいの気力がないと。

田原俊彦さん
ー1980年がスタートなんですよ、アイドルっていう時代が。

サワコさん
ーメチャクチャ忙しい時代が始まって。

田原俊彦さん
ーそうですね、よく生きてますね。
ほんとにそのぐらい、すごいスケジュールだったんですよ。
だって365日全部何かあるから

サワコさん
ー休みまったくなし?

田原俊彦さん
ーそうですね。

サワコさん
ー歌番組全盛の時代と言うのもあったでしょうね

田原俊彦さん
ー1日のスケジュールがね、朝8時くらいから写真を撮るんですよ、顔腫れちゃってんのに。
お昼はドラマやって、夕方位からテレビの生番組やって、それが終わったらレコーディングがあって、最期になぜかラジオの仕事。これがルーティンでした。
だからみんなくったくたになって12時くらいに集まってくるんですよ。

サワコさん
ーアイドルがゾンビのようになって
その時の気持ちはどうだったんですか?

田原俊彦さん
ー気持なんか出したらダメですからね。だからヤルしかないみたいな。

サワコさん
ー前に進むしかない?

田原俊彦さん
ー僕らしかいなかったんですよ、あの時代って。もちろん先輩はいますよ。
西城さんと郷さんと五郎さんがいて、その上に沢田さんがいて。でも若いアイドルって僕らしかいなかった。今はいろんなグループがいて分散されてるから。

サワコさん
ーどの局にも出てなきゃいけないんですね。
思い返せば「ザ・ベストテン」って突飛な企画をやってたように思うんですが。

田原俊彦さん
ー「追いかけますよ、どこまでも」が、キャッチフレーズで。

サワコさん
ー私、忘れられないのが、聖子ちゃんとテニスをしながら歌った。

田原俊彦さん
ー無茶苦茶ですよ。ほんとに。
楽しみでしたけどね

サワコさん
ー何が出てくるか?

田原俊彦さん
ーうん。動物出てきたリ、マジックやったり、水かけられたり、宙づりにされたりとか。
おもちゃにされましたね、僕とマッチは。

サワコさん
ーその頃、将来はどうするとか、悩みを相談したりマッチと話した事はあるんですか?

田原俊彦さん
ーそんなシリアスな話したことないです。彼はその後レースを始めましたけど、早く免許取って、こんな車買いたいとか。だから将来について語ることってなかったですね。忙しすぎて、合宿所に帰ったら早く寝ることが仕事だったんで。

サワコさん
ー将来については、田原さん自身は不安とかなかったんですか?


田原俊彦さん
ー多少はあったんでしょうけどね。
でも自分の置かれてる立場って言うのが恵まれてたし、田原俊彦がやらなきゃいけない使命感っていうのがいつしか芽生えて、最低10年、10年は死ぬ気でやるぞ!っていうのがなんとなくありましたね。
10年は死ぬ気でやって33才で結婚するぞって。

サワコさん
ーいくつで結婚したんですか?

田原俊彦さん
ー33才です。田原俊彦33画だから。

サワコさん
ー希望通り?

田原俊彦さん
ー強引ですね。

サワコさん
ー平穏な家庭を持ちたいと?大黒柱になりたいというお気持ちはあったんですか?

田原俊彦さん
ーん・・・どうなんだろう。ぼくは親父が小学校あがってすぐに死んじゃったんで、ハッピーな温かい、全員が揃った、そういう憧れがあったのかも知れないですね。

サワコさん
ー無事に結婚されて

田原俊彦さん
ーはい。

サワコさん
ーその後、お子様が生まれた後ですか?有名な話ですけど。
私はあんまり大騒ぎしてるって知らなかったんですけど。
ある一つの発言で

田原俊彦さん
ービッグ発言ですか。

サワコさん
ービック発言になっちゃって。

田原俊彦さん
ーいきますか、そこ!

1994年結婚の翌年に開いた長女の誕生発表記者会見での事
田原さんが口にした、「何事も隠密にやりたかったけど、僕くらいビッグになっちゃうとそうはいきません」という発言。
この言葉だけが切りとられ、大々的に報道されてしまいます。
その結果、田原さんはバッシングの嵐を受けます。
これをきっかけにテレビの仕事から遠ざかることに。

田原俊彦さん
ーここだけ切り取られるとね。これは短い時間では言い訳がましくなっちゃうんだけど、ここに至るまでの経緯ってものがありまして。
いや、僕、写真週刊誌のターゲットにされたんですよ。

サワコさん
ースキャンダルの?

田原俊彦さん
ー女の子とデートすれば撮られて、もうひどい目に合ったんですよ。
それでマスコミに対してNO!っていう風になってしまった僕がいたんですよね。
それで、闘うじゃないですけどそんな構図になってしまって。
ぼくも意固地になってしゃべらないっていうのがあったんで。
それで長女が生まれて、マンションも病院もマスコミが来て、周りに迷惑がかかっちゃうし。
さすがに僕も、生活ができないんです、それでこれは表に出ないとダメだなって。
自分の中では精一杯のジョーク交えてやってるつもりだったんだけど。よーし!来たなってとこでやっつけたろうと思ったんじゃないですか。

サワコさん
ーでも、それからしばらく田原俊彦、苦難の時代が始まる。

田原俊彦さん
ーそうですね。でもそれは人のせいにするんじゃなくて、ぼくがそういう行動をとって、そういう場面を作ってしまったんで。それは後付けだと思うんですね。
あの時僕に力があれば、全然そんなの吹き飛ばせたと思うし、そんなに、みんなが思う程、干されたって気持ちはなくって。干されたのは俺に力がないからでしょって。

サワコさん
ー最初っからそういう風に割り切れたんですか?

田原俊彦さん
ーそうですね。
もちろん、どんな時もそばにいてくれるファンの方もいましたし、コンサートはずっと普通にやってますし。
それは、会場は小さくなりますし離れていくお客さんもリアルにわかった。

サワコさん
ー奥様は心配なさらなかった?

田原俊彦さん
ー多分心配はしてたと思うんですけど、言葉に出して話すようなことでもないし。


サワコさん
ー奥ゆかしいんですね。

田原俊彦さん
ー腹くくって一緒になったと思います。

サワコさん
ージャニーズ事務所を辞められるんでした?

田原俊彦さん
ーその秋ぐらいですかね、辞めたのは

サワコさん
ー不安定になるっていう心配はなかったですか?

田原俊彦さん
ーこれはひとりでやって行くべきなんじゃないかなっていう思いの方が強くて。
なにしろあの時の僕は自由が欲しかったんですよ。もう放っておいてという。
だからある意味スッキリしたって言うか安心した僕もいました。

サワコさん
ー逆に仕事が減ったことで?

田原俊彦さん
ーそうです。

サワコさん
ー例えば転職しようかななんて事は?

田原俊彦さん
ー全くないですね。

サワコさん
ーそれはどうして?

田原俊彦さん
ーだって田原俊彦ですから。もうやり続けるぞって。

サワコさん
ー生涯やり続けるぞって?

田原俊彦さん
ーまあ生涯はきついかも知れないけど。踊れないよ、もう

サワコさん
ーまだ、まだ大丈夫でしょー

田原俊彦さん
ーやれるところまで。

サワコさん
ーそれで爆報フライデー?爆笑問題の番組にレギュラーになられたのが2011年?

田原俊彦さん
ー僕が50才の時だから7年前になりますね。

サワコさん
ーそれは引き受けるお気持ちになったのはどうして?

田原俊彦さん
ー彼らは、まさしく80年代世代なんで。

サワコさん
ーだって田中君は大ファンだたんですもんね。

田原俊彦さん
ー俺の歌、ほぼ歌えますからね。
んで、太田君もほんと面白いし、僕と同じで空気読めないし。
楽しいですよ。


サワコさん
ー2曲目を教えて頂きたいのですが。


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今、心にく曲

田原俊彦さん
ーまた懐かしいのでいい?

サワコさん
ーもちろん

田原俊彦さん
ーサタデーナイトフィーバー、その中からビージーズの 「HOW DEEP IS YOUR LOVE 」



チークタイムです、踊りましょう!

えーと言いながら、サワコさん嬉しそうに手を取られダンスを

田原俊彦さん
ー撮らないで撮らないで撮らないで人妻なんだから!お道化た調子でね

サワコさん
ー人夫でしょう
ライト落として

田原俊彦さん
ーライト落とすとチューしちゃうぞ

サワコさん
ーやん、ミラーボールミラーボール

なんて言いながら、ご機嫌な2人

田原俊彦さん
ーこれほんとにいい曲、名曲ですよ

サワコさん
ー踊りをずっと続けてらっしゃるって事が田原さんの魅力の一つだと思いますが。
どこまで足上がる?

田原俊彦さん
ーいやー、やっぱり若い時の僕って半端ないですね。瞬発力、跳躍力って言うのは落ちます。違う見せ方っていうか、は何となくできてきたんですけど、年齢相応な見せ方ができるように。
でも上がりますよ!何言ってんですか!

サワコさん
ー失礼いたしました


田原俊彦さん
ーいいんですか?あげて

サワコさん
ーあげて

田原俊彦さん
ー体操してないから、言いながら準備体操を

足をあげる田原さん、太ももの裏がつったとお道化るたのしい田原さんです。

ビッグ発言のくだりの時の表情は少し硬くなりました。
今でも心のどこかに消化しきれない部分が見えました。
あの会見を私はリアルタイムで見てましたが、まったく問題なかったですよ。
ぜんぜんいやな感じはなかった。
テレビの画面ではジョークで言ってるとわかったのに、活字になると怖いですね。

これからもますます頑張ってほしいです。