招待客のを打つお言葉


今回は、両陛下のお言葉のチカラについて書いていきます。

 日本に貢献した人が招かれる園遊会は、平成の間に53回開催され、スポーツ選手、ノーベル賞受賞者、著名人・芸能人など各方面に活躍した約10万人が出席しました。


両陛下と直接言葉を交わすことのできる園遊会では多くの招待客が感動を受けています。

冬季オリンピックで2大会連続でメダルを獲得したスピードスケート選手の清水宏保さんは、平成8年、10年、14年過去に3回招待されています。

清水さんは22才、初めて出席した時に陛下からかけられた"あるお言葉"にびっくりしたそうです。

その時のお言葉は、

陛下「清水さんは、お父様がすいぶん一生懸命・・・」

清水さん「はい、厳しく。スケートに関しては本当に口うるさく言われ続けました」

清水さん
ー父親の事を言っていただいた。
お父様が早く亡くなられて、という風に。
父親が亡くなった経緯までご存知だったのには驚きました。
こんな僕のこと知っていたくれてるんだっていう喜びがありました。

陛下は清水さんの父、均さんが厳しく指導していたこと、さらに56才という若さで亡くなっていたことことまでご存知だったのです。

「古代の天皇」という漫画を約30年以上にわたり連載してきた漫画家の里中満智子さんにも。

里中さん「韓国と中国と一緒になって若者たちに、日本の文化を理解してもらうために頑張っております」

陛下「お描きになった持統天皇とか、孝謙天皇、一番盛んに高級があった時代ですね」

ー自分が描いている作品をちゃんとご存知でいらして下さる。本当にびっくりしました。


清水さんや里中さんと驚かせた陛下の知識。
その裏には綿密な下調べがあると、元宮内庁式部官長の苅田吉夫さんが明かしました。

ー両陛下とも驚くべき記憶力をお持ちです。
陛下は一人一人について、どういう人であるか、よく勉強されて、臨まれる。
園遊会の招待客が決まると、約一か月前から資料に目を通され、園遊会の勉強会&ご報告会をされる。

園遊会

 短い時間の中でも誠心誠意その人と向き合おう、その感謝の意を込めてお話になるという事。それが皆さんの感激につながっていく。


リオデジャネイロパラリンピックで4つのメダルを獲得した全盲のスイマー木村敬一さんは、美智子さまからのお言葉、そしてその所作から温かさと優しさ、お心遣いを感じたそうです。

 この時、両陛下は木村さんの元にに来られるとすぐに両手を握られたのです。
そして去り際に、美智子さまはもう一度手を握られました。

木村さん
ーものすごい温かさというか、エネルギーを感じました。ぼくが見えてないので、「同じ空間にいますよ」という事をそういう形で表現してくださったのだと思います。


ちなみに、毎年お声掛けされるのは20人ほどで、前もって決まっているのだそうです。

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美智子さまあるお言葉支えられている


美智子さまの30年来の親しいご友人の末盛千枝子さん

末盛さんは美智子さまの本の出版に長年携わっています。
先月「根っこと翼 皇后美智子という存在の輝き」という本を出版されました。

 聖心女子大のお友達と銀座にいらっしゃったときにデパートのウインドウに大きなパンダのぬいぐるみが飾ってあってみんなでとても嬉しそうに見ていらしたんですけど、美智子さまが陛下とご婚約が決まった時、同級生たちがそのパンダのぬいぐるみをプレゼントしたそうです。

 そしてお荷物と共に大きなパンダが、実家から新居となる東宮借御所に届いた時、皇太子さま(今の陛下)が見に出ていらして、そのパンダをご自分でお持ちになって、皇后さまがお使いになるお部屋にパンダをお連れになって椅子に座らせた。

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陛下の美智子さまへの愛情が伝わってくるエピソードです。

末盛さんには、忘れられないお話があると言います。

平成5年、世間のバッシングなどによるショックから美智子さまは声を失われてしまいました。
診断結果は、心因性の失声症、長年にわたる深い悲しみ。
声が出るまで約2か月かかりました。
その最中、末盛さんは葉山でご静養中の美智子さまを訪ねました。
そこで美智子さまはようやく聞き取れるか細い声でお話されたそうです。

末盛さん
ーこういう時、精神科医の助けを借りるという事はおできにならないんでしょうか?

美智子さま
ーそれはできません

と言って「でんでんむしのかなしみ」のお話をして下さったんです。

でんでんむしのかなしみ

でんでんむしのかなしみは、新美南吉による創作童話です。



ある日、1匹のでんでんむしが、

わたしの せなかの
からのなかには

かなしみが いっぱい
つまって いるでは ないか

ということに気が付き、他のでんでんむしに相談すると

あなたばかりでは ありません
わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです

他のでんでんむしに聞いてもみんな同じことを言います。
そしてでんでんむしは気が付きました。

かなしみは だれでも もっているのだ
わたしばかりでは ないのだ

わたしは わたしの かなしみを
こらえていかなきゃ ならない

こうしてでんでんむしは嘆くのをやめると言うお話です。



美智子さまは幼少期の頃にこの物語を通して、

「人は誰しも何かしらの悲しみを背負って生きている」

という事を学ばれたと言います。

末盛さんが驚いたのは、皇后になられた美智子さまが50年以上前に読まれた本を心に留めているということ。
こんな大変なことを、こういうお話で乗り越えようとしていらっしゃるんだと思った。

時に自分を励まし、時に勇気を与えてくれる
美智子さまは"言葉のチカラ"を信じていました。


美智子さま
美智子さま でんでんむし

ーまだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。
この話はその後、何度となく、思いがけない時に、私の記憶に甦ってきました。
読書は人生の全てが決して単純でないことを教えてくれました。


末盛さん
ー私はこういうものを通して力をもらってきましたよということを誰かに伝えることによって、相手の人もそれをもらえる。それは人に対する愛情じゃないですかね。


このお気持ちこそが美智子さまの持つ、言葉のチカラ温かさなのかも知れません。


一方、陛下のお言葉が際立ったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災。
余震が続き、不安が続く中、6分にわたるビデオメッセージを発表されました。

陛下ビデオ


国民一人びとりが、被災した各地域の上に、これからも長く心を寄せ、
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを
見守り続けていく事を、心より願っています。

当時、映像を通じて国民に語りかけられるのはめてでした。


 まもなく、7週連続で被災地にお見舞いに行かれ、被災者と膝を突き合せれて向き合われました。
その5月には福島第一原発で揺れる福島県相馬市をご訪問されました。

両陛下


この福島県で美智子さまのお言葉で、一念発起した家族がいます。

美智子さまからのお言葉とは・・・

東日本大震災から8年
菊地祥子さんは、震災前は家族と、旅館を35年間経営していました。
家族は全員無事でしたが、旅館は全て流されてしまいました。

震災発生から2か月、避難先の体育館で過ごす先の見えない日々。
そこへ、両陛下がその避難所に訪問され、菊地さんに声をかけます。
私たちにお体は大丈夫ですかと、気にかけて下さり、そのあと娘に目を向けてくれて、
「いくつですか」
「今年小学校に入学したんです、黄色い帽子をかぶって毎日登校しています」など会話した後、美智子さまがそのお帽子を手にとられて、帽子をかぶって見せてくださいと小さなお願いをされました。

それから8年柚花さんは中学生となりバスケット部のキャプテンとしてチームを引っ張っています。

14才になった柚花さんに当時を振り返ってもらいました。

「(帽子)がお似合いですね、勉強頑張ってくださいね」と言っていただいて。
震災とかいろいろあって複雑な気持ちでいたんですが、暗い顔をしないで前向きに頑張っていきたいって思いました。あの時の黄色い帽子は大切に飾っていると言います。

そして母親の祥子さんも美智子さまの"あるひと言"で決意を新たにしたを言います。

「家族の方は大丈夫でしたか」と聞かれ「全員無事で大丈夫です」と返した時に、
「生きていてくれてありがとう」と言っていただいた。


「生きていてくれてありがとう」この言葉からチカラをもらった菊地さんは一念発起
震災から2年後日本料理店を開店しました。

亡くなった方々の分も強く生きて、地元を盛り上げられるように頑張っていかないとと思っています。


平成の天皇皇后両陛下は深い愛情をもって、皇室を身近にしてくださいました。

心に響く言葉を選んでるのではなく、一人一人に寄り添うお気持ちがあるからこそ、両陛下のお言葉はその人に響くんですね。

新元号は「令和」に決まりました。

両陛下には、これからはご自分のお時間をご自分たちだけのためにお過ごし頂きたいと思います。